初代 林崎甚助重信
二代 田宮平兵衛業正(成政、重正、重政ともいわれている。田宮流の開祖)
三代 長野無楽斎槿露(無楽流を創始し、会津藩に伝承)
四代 百々軍兵衛光重
五代 蟻川正左衛門宗続
六代 万野団右衛門信定
七代 長谷川主税助英信(土佐の人、長谷川英信流を創始)
八代 荒井勢哲清信
九代 林六太夫守正(神影流大森六郎左右衛門正光の大森流を加える)
十代 林安太夫政朝
十一代 大黒元右衛門清勝
< 以後二派に分派する>
(谷村派) |
(下村派) |
十二代 林益之丞政誠 |
十二代 松吉貞助久盛 |
(参考)十七代大江正路から以下に伝わるのが「無双直伝英信流」の系譜
十八代 穂岐山波雄
十九代 福井春政
二十代 河野百錬
七代を継いだ長谷川英信は、それまでの太刀を刃を下向きにして佩いた時の古伝の居合を、現在のように刃を上向きにして帯刀した姿勢から抜刀するように工夫し、長谷川英信流(無双直伝英信流)と称して土佐に伝え、今日に及んでいます。
九代林六太夫守政も土佐藩士ですが、江戸勤番中に剣道の師で神影流の達人大森六郎左衛門正光より正座の姿勢から抜刀する居合を学び、これを英信流に加えました。
やがて時代は明治維新を迎え、廃刀令が発布されると居合のみならず剣術全般が衰退の一途をたどることになりますが、少数の人々によってその命脈は受け継がれてきました。中でも明治末期に剣道隆興の一翼を担い、後年「昭和の剣聖」とうたわれ「最後の武芸者」とも称された中山博道範士は、土佐に伝わっていた英信流居合を下村派の細川義昌と谷村派の森本兎久身両師から学び、その後自らの工夫を加えて自技を「無想神伝流抜刀術」と称えました
後年、この一流を中山範士の門弟たちは「夢想神伝流居合」と呼称するようになり、現在その修行者数において最大規模の居合流派として隆盛をみています。